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総理の原稿 [記事紹介]

「がっかり」した本。
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総理の原稿、という本です。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/X/0237250.html

ある意味衝撃的な内容で、政権交代後の基本方針、所信表明演説にはいっている多くのフレーズが、いかに「政治(+ブレーン)主導」でこしらえられているか、よくわかります。

外交の部分も参りますが、国内政治に関しても、

その年の夏、松井さんに会ったあとに、僕はフランスにちょっと仕事で行っていたんです。その時に、友人の国立オデオン劇場の芸術監督に、「政府の仕事をちょっと手伝うかもしれない」とカフェで話していたら、「じゃ、ぜひ同性愛の結婚を認めてくれ。俺は日本が大好きだから、認めてくれたら俺は日本に帰化してもいいんだけどな」というから、「ふうん」と聞いていたんだけれども、それを思い出した。書いてみて、やっぱり採用されなかったんですけどね。


というノリで(この部分は最終的には削除されます)演説内容で提案されている状況が対談で回顧されています。

読んで、つい気を失いそうになりました。(内容に個人的に賛否があるわけではありません。)

政策方針と、スピーチライターとしての演説の表現の修正はまったくの別物のはずです。政策方針は、それこそ政府のなかで過去の政策の評価を慎重にしたうえで、じっくりと議論を積み重ね、定めていくべきものです。スピーチライティングは、政策方針を首相や閣僚(および政務三役)たる政治家及び政府高官と十分に固めていくなかで、その議論を踏まえて提案されるべきものです。ライターが過度に踏み込むことは、彼の上司たる政治家に結果的に面倒をかけることにもなります。

なにより重要なことは、(民主党が言っていたように)国民主権というならば(よけいに)、所信表明演説にせよ、施政方針演説にせよ、またいかなる政策にせよ、それらは社会に存在する価値観を反映すべきものです。価値観にかかわる問題―それは同性婚の問題以外ではたとえば死生観に関する問題などがあるでしょうか―を、これまで日本では政治とある程度切り離された形で、有識者、市民たちの対話のなかで議論を進展させてきたと思います。慎重な議論のあとに、選択すべき局面で世論が割れるのであれば政治決断、または選挙ということになるでしょう。たとえば、臓器移植の問題も、日本人は長年にわたって悩み続け、少しずつ議論を前進させてきたと思います、それが患者の観点に立てば遅いとの誹りを免れないにせよ、拙速に結論を急げば社会の分裂を招きかねないものです。そして、総理の演説とは個人の思いをぶつける、立会演説会ではなく、この国を率いる人物の指針であり、そこで成熟していない議論をもちだすことは、価値観の押しつけになりかねないのです。

重要なことは、根本的な価値観の問題とは、首相でも決められる問題ではないのです。それをライターが提案して官邸で演説に入れるかどうか議論していたということは、当時の民主党政権が政治の役割を選挙に勝てばなんでも決められる、と誤解していることに起因しています。政治の役割は、社会に存在する価値観を一方的に決められるほどの存在ではありません。リベラルそうな民主党に投票しているのだから、これくらいやっていいだろう、そんなおごりがみえます。

仕分けのときに感じた、民主党政権の「「政治」主導」の過ちと同じ問題が演説作成でもあったとさえ思えます。政府トップとしての首相としての演説は重い、そして政治家個人としての演説とは異なる。

(政治家として個人的な思いをぶつけて、国を動かす判断をするという、「その時」も否定はしませんが、それはよほど限定された時です。普天間問題では、むしろその演説が必要だったと思います。当時も書きましたが、あれほどの国論の分裂を招くアジェンダ・セッティングがされていたにもかかわらず、最後まで何をしたいのかはっきりしなかったため)。

あまりにやる気がなくなりますが、ハト政権に関してはじっくりと言いたいことが山のようにあるので、一つずつ論文を書いていこうかとも思っています。

あの時代への反省がなければ日本政治の未来はないと思います。

しかし、二人の政権中枢にいた人物の回顧としては興味深い内容です。「敗戦」をみとめたうえで、政治のあるべき姿を論じた、ひとつの重要資料だと思います。

お買い求めになられてもよいかと思います。感じ方はひとそれぞれです
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