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アメリカ軍事介入の判断基準とは [記事紹介]

ワシントンポストに掲載された、キッシンジャー・ベーカー両氏によるオピニオンの仮訳を作成しました。
私個人が勉強のために作成したものであり、引用は禁止します。参考までにお読みください。
また訳の間違いに気付かれた場合は、私まで連絡をお願いします。助かります。

原文は、
Grounds for U.S. military intervention
http://www.washingtonpost.com/opinions/grounds-for-us-military-intervention/2011/04/07/AFDqX03C_story.html

アメリカ軍事介入の判断基準とは
ヘンリー・キッシンジャー、ジェームズ・ベーカー三世
ワシントン・ポスト 2011年4月8日

アラブ世界を席巻している変化は、合衆国初期における論争の最も重要な地点に我々を引きもどしている。アメリカの軍事力は理想主義的な理由のために使われるべきかのか、それとも死活的な国益の表現であるべきなのか?それとも、その両方なのか?四名の合衆国大統領に仕え、数多くの国際的な危機に直面してきた我々両名は、「理想主義」と「現実主義」のあいだでの選択を誤ったものだとみている。理想が具体的な状況に適用されなければならないように、現実主義も我々の国家にとっての価値が意味をなす文脈を必要とする。理想主義と現実主義を分けてしまうことは、政策を危ういものとしてしまう。

多くのアメリカ人のように我々も、アメリカ合衆国は民主主義と人権を、常に政治的に、経済的に、そして外交的に支持すべきだと信ずる。我々は、冷戦においてソ連帝国の囚人となった人々のために自由を勝ち取ったのだ。アメリカに住む我々が保持する価値とは、人類の苦しみを和らげるために奉仕するように我々を駆り立てる。しかし、一般的な原則として、アメリカが軍事的に行動することは、アメリカの国益がかかっているときに限るべきだ。このようなアプローチは「実利主義的な理想主義」と題するのが適切だろう。

議論の余地はあるが、リビアはこのルールの例外だ。リビアにはアメリカにとっての死活的な国益は存在していなかったが、人道的な見地からの限定的な軍事介入は正当化できるものだ。カダフィの軍隊は既に市民の間に深刻な被害をもたらしていたし、ベンガジを制圧する間際に来ていた。住民への悲惨な結果をもたらす可能性があった。カダフィが率いる国軍は弱体だ。また、彼はリビア国内でも人気がなく、友好国も特にもたない。国連安保理、アラブ連合も行動を求めていた。

それにもかかわらず、理想主義的な目標は、アメリカの対外政策において軍事力を行使する唯一の動機になるべきではない。アメリカは世界の警察官にはなれないし、今後生じるであろう人道への挑戦のすべてに軍事力を行使することもできない。どこで我々は踏みとどまるのだろうか。シリア、イエメン、アルジェリア、イラン?アメリカにとっての強力な同盟国であってもすべての価値を共有しているとは言えない、バーレーンやモロッコ、サウジアラビアの場合はどうだろう?たとえば、象牙海岸の国家における人道的な侵害の場合は?

北アフリカと中東において事態が進展しつつあるなかで、各国を一つずつ検討することは急務だ。その目的に資するために、いくつかのガイドラインを提示したい。

第一に、軍事力を行使する際には、明確で特定化された目標を立てる必要がある。市民を保護するという目的は、我々の価値に整合的だ。しかし、そのような努力を限定的なものにとどめておくことは本質的に困難を伴う。人道的介入の必要は、人々を彼らの政府から、または政府の崩壊から保護する必要から、まず間違いなく生じる。これは、体制転換や国家建設といった戦略的な対外政策の検討を求めることになる。しかし、体制転換の目標を軍事介入と結びつけたとき、それを実行に移すための手段を講じることが要請される。それを結びつけなければ、軍事ミッションが展開していくなかで、同盟国にも敵にも、そしてアメリカ国民にも混乱を生じさせる。宣言した目標を達成できなければ、戦略的な後退を引き起こすことにもなる。

第二に、各国の状況をそれぞれに特有の条件から検証し、それぞれの文化や歴史をアメリカの戦略的、経済的な利益と結び付けることを模索しなければならない。この作業によって、多様な大衆運動の背景にある動機を分析し、それぞれに対して適切な対応が可能になる。

第三に、アメリカが支持する対象、人物を明確に知っておく必要がある。リビアにおいて、現実には我々は内戦において一方の側に立っている。しかし、専制君主に反対することだけでは十分ではない。権力の継承それ自体が大きな問題を作り出さないような、なにがしかの保証が必要だ。それゆえ、体制転換後の秩序のコンセプトを持っておくことが重要だ。この地域が最も望んでいないことは破綻国家が次々と生まれてしまうことだ。

第四に、アメリカ国内において、通例は議会に支えられた、支持がなければならない。支持されていない政策を遂行することは短期的に大きな困難を伴うだけでなく、長期的にも持続させることができない。朝鮮戦争、ベトナム戦争、そして第二次湾岸戦争[本文はsecond Iraq war]の経験は、手詰まり状況が長引けば国内の指示が徐々に弱まっていくことを教えてくれる。

第五に、意図しない結果を考慮しなければならない。親カダフィ派の市民を反乱軍の残虐行為から保護することを考えなければならない。リビアでの顛末は、イラン人がカダフィが核計画を西側との関係強化のために断念したと捉えれば、イラン政府の核開発を加速させるだろう。核拡散に対抗する決意を、ならず者国家に確信させ続けなければならない。

第六に、これが最も重要なのだが、アメリカは死活的な国益に関して、強固で、同時にケース毎に異なった理解を作り上げなければならない。この地域におけるすべての動乱が、同じ起源をもつわけでも、同じ対応策を必要とするわけでもない。アラブの春は、この地域の人々、そして世界にとって大きな機会を提供する可能性がある。長い時間をかけて民主主義を育てていくことはイスラム過激派に代替するものを提供することになる。短期的には、過激派の支持者のパワーを増すことにもなりかねない。どのような時間的な枠組みで、何が達成可能なのか、現実的なコンセプトを築き上げる必要がある。

アラブ/ペルシャ湾岸地域という世界の大半のエネルギー源の長期的な安定こそ、アメリカにとっての死活的な利益だ。また同様に本質的な利益を、この地域の国がイスラム過激派を育てるような土地にならないことにも見出している。

アメリカは、国益を守るための決意と、我々の国家を偉大なものとしている価値――民主主義、自由、人権――を促進していくことを接合するような政策を追求しなければならない。そのような実利主義的な理想主義こそが、イスラム世界におこっている歴史的な変革から来る、挑戦と機会に対処する最善の道となる。

著者のヘンリー・A・キッシンジャー氏は1973年より77年までアメリカ合衆国国務長官を務め、ジェームズ・A・ベーカー三世氏は1989年から92年まで国務長官を務めた。

仮訳:Ryo's Blog

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