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研究室の引っ越し [雑感]

9年間過ごした、六角橋の地を離れることになりました。

着任の時にあった感情は、「教えたい」という気持ちと、(正直に言えば)「いつまでここにいるのか」というものでした。特任の助教ポストも3年に渡っていたので、博士号も取ったし、もう教えたい!という気持ちが強くなっていました。同時に、神奈川に決まったときは、(東京・城北出身なので土地勘がなく)横浜?箱根駅伝?という感じでした。

誰一人知り合いもいないなか、4月1日の辞令交付式に出席しました。その後親友になる同期二人が隣に座っていましたが、逆隣には総務省の元官僚、その横には東大を定年された先生(学生時代にお会いしたことはありませんでした)が座っており、5名で法学部の新任教員でした。

その後はあっという間の9年間。ちょうど5年目に在外研究(スタンフォード大学)に出して頂いたので、それを挟んで4年ずつ。

学生に恵まれました。

最初、小難しい、カタカナと概念説明だらけの講義をしました。
2週ほど経ったところで、比較的前に座っていた、ある学生が「全くわかんない」と独りつぶやきます。それを聞いて、もの凄いショックを受け、大反省。

連休を使って、一生懸命考えて、講義を一から組み直しました。

結果として、その初年度から、わかりやすい、国際関係に関心を持って勉強するようになったなど、嬉しい声を学生からもらえるようになりました。2010年度の学生授業評価の紙は今でも大切にとってあります。(最初は難しかったが途中からガラッと変わった、というコメントも残ってます。よく見ていますね。ありがとう。)

ゼミ生も通算で8期。みんなスポンジのような吸収力と、前向きで明るい姿勢をもった良い学生たちばかりです。

研究者の多くは大学教師を兼ねます。教師としての訓練をまともに受けたことのない、若手研究者が教師になるというのはそれだけで大変なことですが、大学では他の教員が教室の後ろに立って指導するようなこともありませんので、結局は学生に育ててもらうしかありません。

最近色々なところで講演を行い、一般向けエッセイも書いていますが、少しでも分かりやすい物であったとすれば、それは学生に育ててもらった、ということだと思います。最初の一学生のつぶやき、そして日常の講義やゼミでの学生とのやりとりや、頂くコメントのなかで、伝えるとは何か、授業とは、大学教師の役割とは何か、考えて実践してきました。

この9年間、ほかにも青学、慶応、ICU、一橋、上智、広大、東大でコマを担当しましたが、すべては神奈川での経験を活かしてきたつもりです。何千人もの学生に、少しでも何かを残せていれば、教師として幸福です。

研究でも、色々あっても成果を少しずつ発表することができるようになり、助成をもらって単著もだせました。自分としては分析枠組みのはっきりした本を出すべきという信念があり、結果として毀誉褒貶ある本になったのかもしれませんが、国際政治史の教科書や、大家の単著にも取り上げてもらい、出せたことは大きな喜びです。

支えてくれる人も多く、自分の中で充実した日々を送ってきました。幸運なことに、神奈川は職員の方が教務も研究もしっかり支えてくれます。教員だから確認すべき点や考えるべきことに専念できました。

そのようなところで、秋から冬に異動の話がトントン拍子に進み、悩む時間もほとんどないままに、転出することになりました。

9年経っての気持ちは、「もうここにいれないのか」、そして同時に「研究をしたい」。もっと読みたい、書きたいという気持ちは強まっていたのは事実です。寂しいですが、教師としての充実した9年を踏まえて、今はもう一度、研究に専念できる環境に戻ろうと思います。機会を与えられたことに感謝して、自分には過分な研究環境ですが、一所懸命に取り組もうと思います。

先週には、ゼミ生が「先生も神奈川大学を卒業です」と、自分たちの卒業と兼ねた夕食会を開いてくれました。もらった手作りのアルバムもブログかSNSにあげて欲しいと言われましたが、恥ずかしいのでやめておきます(写真も載っているしね)。君たちの後輩ゼミ生、あと2年間、しっかりと教えますね。

多くの人に恵まれて、素晴らしい時間を過ごせました。皆さん、ありがとう。

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