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キャンベラ,シドニーへの冬の旅 [遠征日記]

久しぶりの豪州出張。1年半以上,この古巣キャンベラには来ていませんでした。

南半球はです。[雪]

そしてキャンベラは相変わらず,のどかな田舎です。キングストンの畔にちょっとしたウォーターフロント的な,まあレストランが10近く並ぶ(だけの)通りが去年できたのですが,今回会った友人すべてが「最近いいとこできたんだよー」と誘ってくる,ほどの田舎です。(結局2回行きました。)

今回は国防省,オーストラリア国立大,外務貿易省の順でそれぞれ30名くらいのセミナーを開き,成果報告会をすることが目的。それは集客の面でも,議論の盛り上がりの面でも十分な成果を上げたと思います。

役所で幹部級が10名以上でてくるのは日本では考えづらく,主催者のTow教授の影響力の大きさはわかるのですが,「えっ,下っ端が出てきてメモを後で読めばいいのでは」という知的な議論をさして楽しまない雰囲気のある日本との違いをはっきりと感じます。

到着当日は時間もあったので,戦争記念館を久しぶりに訪れ,シドニー湾をかつて攻撃した日本の潜水艦を眺めたり,相変わらずさらっと「日本軍によりおよそ160名の負傷者が虐殺された」などと書いてある展示などをみていました。(第二次大戦中の東南アジアでの激しい戦闘,また日本軍による戦争捕虜の扱いは日豪のもっとも機微な部分です。別に総理が演説で一度謝ったからといって何でも変わるものではありません。)
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キャンベラの締めくくりは,こちらに滞在している友人一家にお呼ばれして,三人のお子さんとの賑やかな夕食。6年前に博士研究員をしていたとき,もっとも世話になった夫妻で,当時0歳児だった子と会話が出来るようになって,感動。あのつらい冬を乗り越えられたのも,この一家のおかげでした。懐かしの手料理を食べさせてもらい,痛飲。

キャンベラでの日程を終えて,シドニーにプロペラで移動です。この空路は3回に1回はプロペラな気がします。
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アメリカ学部留学時代の友人が,今はこちらで弁護士になっているので,食べ歩き,飲み歩き。シドニー湾のロブスターに,ANGUSビーフ。

シドニー随一のウィスキーバーでは,日本のウィスキーが有名ブランドから新興ブランドまでそろっていて,さらに人気。とても誇らしいものです。
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シドニー空港で,もはや擬人化しているコアラを写真に収めて,帰国しました。往復ともJALは満席。修学旅行の学生が多いのが原因のようです。古い機体なのか,座席はプレミアムエコノミーであったにもかかわらず,とても窮屈。リクライニングしないタイプの座席(一時期はやりましたよね)は本当にとっとと取り外して欲しいものです。
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今回の旅で感じたのは,オーストラリアドルの安さ(1ドル90円)。これは旅行者としてはありがたいのですが。物価は相変わらずで,高いものは高く,水は500mlのペットボトルで2.5ドル(225円),ワインもグラスで17ドル前後(1460円)はします。食事はそこまで高くなく,税込み表示で40-60ドルで相当よいものが食べられると考えると,アメリカより少し安く感じます。

アルコールが高く,ウィスキーのワンショットもそこそこのもので17ドルくらい平気で取られるので,それはつらいのですが。ビール飲むしかないですね,本当に。

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帰国すると,宅配BOXには冬に刊行する単著のゲラが到着。時間の無駄のないこの展開はよいものの,250頁弱の本文,そして761の注をみる校正の大変さに,今は少し身震いしています。

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第1-5日 金沢会議と立ち寄り「帰省」 [遠征日記]

ソウルからの帰国翌日に、再び羽田に。今回は小松。

出張の目的は、今回で2回目となる日米金沢会議。アメリカから20代後半から30代の、明らかに今後政策コミュニティで活躍する方を呼んで、日本のカウンターパートとなる(ように頑張る)僕たちと対話をしようというもの。

前回は12年1月だったので、結構寒さの厳しい時期。今回は(幸運なことに)紅葉の美しい、また(偶然ですが)カニの食べられる時期。

会場(しいのき迎賓館:旧県庁)からの金沢城
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ライトアップされた兼六園(写真で表現できないものの、霞が池の鏡面に映し出された木々の美しさには絶句)
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会議は大成功。参加したアメリカの方々から届くメール。いやー、よかった。

そして、僕としては金沢に加え、母の郷里の福井に立ち寄り、88になる祖母や叔母、従姉妹に会えて、カニに海の幸の食生活。友人の金沢の実家でも歓待。冬の北陸に来れることはあまりなく、すばらしい経験でした。

福井のずわい。(黄色のタグ)
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金沢の寒ブリ。
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金沢のずわい、せこ。(水色のタグ)
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第1-3日目 初吹雪のソウル [遠征日記]

9ヶ月ぶりのソウル。

そして、この冬の初雪に重なりました。気温は氷点下とのすれすれ、風そこそこ強し。。。
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空いた時間にいつものマッサージ屋さんにいくと(ポイントを貯めていたりします、受付のおばちゃんともすっかり馴染みに)、明洞のあたりもすっかりクリスマスの飾り付けが街中にあふれていました。

ホワイトクリスマスをちょっと先取りした気分♪

いや、むちゃくちゃ寒いので、全然うらやましくないと思いますが。

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シンポジウムはコンラッドで開催された、慶南大学校と韓国輸銀の共催。最高級ホテルを使うことからも気合いの入り方が分かる。冒頭、国会議長、統一相など閣僚、元閣僚4名の挨拶が続く。

今回の役回りは、北朝鮮の経済開発への各国の立場について、討論者。メインの討論相手は、アメリカ西海岸の老教授、内容はネット風にいうと、「太陽政策マンセー(万歳)」[ふらふら]

もちろん最近の北朝鮮の経済政策はなかなかのものがあるにせよ、安全保障について一言も言及がない講演。関与政策がこれまで効果を上げたのかの検証も一切無し。

結構厳密に、日本の立場を説明したつもりです。内容は以下。しかし、彼は、「全く同意しない。日本がこれを機会に軍拡したり、敵基地攻撃能力を持とうとしていることを中韓とともにアメリカも懸念している」と発言。

絶対にワシントンの雰囲気とずれているのですが。。。何を根拠に。。。

問題はこのような発言が繰り返されることで、韓国は日米同盟を理解できずに、10月の2+2(日米の外務大臣、防衛大臣会合)で日本の集団的自衛権行使にアメリカも理解を示したときに大パニックになりました。

そろそろ韓国に、日米同盟がどれほどアメリカのアジア戦略で基軸であるのか、気づいて欲しいと思います。

なお、アメリカからの別の参加者、スコット・シュナイダー氏はさすがの一言のコメンタリーを会議直後に発表しています。これこそプロの仕事!北朝鮮の見解を読み解き、経済開発と核開発を同時並行していることの矛盾を鋭く追求しています。

【私の発言内容は以下】

そもそも北の核、ミサイル能力はすでにgame changerとなっており、日米の安保への関心は新たなステージに入っている。日本はアメリカの拡大抑止を引き続き信頼しているが、同時にアメリカとの調整を行いながら、策源地(敵基地)攻撃能力の議論を徐々にしているほどだ。

さて、北朝鮮への開発支援だが、北の指導部において経済開発の優先順位が最も高く、それが非核化(HEUを含み、また国際合意への復帰)、政治改革と密接に結びついているか、確信をもてる情報がなければ、日米韓は慎重に行動しなければならない。

経済関与は非核化交渉とは別個に中長期的目標から行うべきとの考え方もあろう。経済力は我々の力であることも事実だ。しかし、北朝鮮との経済関係をそれぞれの関係国がばらばらに強化することは、交渉力を低下させ、問題の根本的解決を遠のかせる。そして交渉再開や関与政策はその時点での現状を肯定し、固定化する効果があることを忘れてはならない。

制裁を緩めることで得られるメリットが明確ではないなかで、経済開発につながる策を講じることには国内理解が得られないし、意味もない。北の核ミサイル実用化が考えられる中で、同じゲームを繰り返す(そして北の能力増加を食い止められない)ことはもはや出来ない。

北が投資、経済依存の多角化を求めてくるタイミングを見極めることが最も重要。中国がいつまでも北朝鮮を支え続けられることはない。であれば、依存は究極的には、北朝鮮をこちら側に引き寄せるための道ともなり得る。

結論として、関与政策は現時点で何のメリットもない。六者協議マイナス北朝鮮の五カ国がバラバラに開発協力をしないように調整することを考えることが、抑止と対処にかかわる能力の向上と共に今最も必要ではないか。

観閲式 [遠征日記]

来年日本にいないこともあって、今年は自衛隊・米軍関係の行事にできる限り参加しよう(勉強の一環)、という方針で観閲式に参加。

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降下訓練が中止になってしまったことは残念だったけど(百里のブルーインパルス特別展示のときも今年は簡単なプログラムでの実施だった…)、美しい行進、飛行展示をみると、練度と士気の高さがよくわかる。また、装備車両ではUAV(無人飛行機)がでていたのが面白かった。

観閲者訓示では、安保環境維持のための「鎖」をつくる、日米同盟が最も大事な鎖というような言い方をしていたのが印象的。はじめて聞いたような。

同盟ネットワーク、Web化のイメージからの派生系か。鎖で相手をがんじがらめにする、という語感になり、表現としては悪くない。過度にAggressiveでなく、現在の安保戦略の方向性に適した表現。もちろん、誰に対するものかは言わないでも明白な文脈。

けど、憲法9条を伝統的保守主義への「鎖」に、日米同盟を「軍国主義」への「鎖」に(本来は「瓶のふた」)という世間の色んな人たちの使い方に対する反発から生みだされたような、気もする。

マスメディアはもちろんそんな表現の意味を考えることなく、報道。

新潟での学会 [遠征日記]

週末は朱鷺メッセでの学会全国大会。

ひとつ討論をつとめる。少しやり過ぎたのかもしれない。けど、相手の分析枠組みや手法について質す、先行研究との関係で質すという王道を全く外していないつもりだった。互いにプロの研究者という立場で全力で戦うという姿勢で臨んでみた。

新潟では、大好きな「鶴齢」や佐渡の日本酒を飲み、また仕入れることができて幸せ。遠方や普段忙しい友人たちと二日とも痛飲。



第1-3日目 久しぶりの上海 [遠征日記]

一晩東京を経由して、久しぶりの上海。中国大陸も(香港をのぞき)少し久しぶり。

今回は日本国際問題研究所のミッションの一員として、復旦大学国際問題研究所と上海国際問題研究所を訪問。それぞれで英語で報告。

それにしても、07-8年に頻繁に往復していたときと比べても、緊張感を強く感じるようになった。
会議でも表面的な言葉づかいこそ丁寧でも、机の下で蹴り合っている感じ。

帰国後、今日は研究会での司会、内容は中国における腐敗と政権の正統性について、アメリカの一流の研究者から。中国について考えさせられる一週間でした。

1-5日目 リトアニア [遠征日記]

リトアニアの首都ビリニュスにて。陸軍士官学校での特別講義、国会での日EUシンポジウムでの基調講演が仕事です。ほかに、ミコラス・ロメリス大学(本務校の交流相手)と当地の有名シンクタンクに訪問しました。

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国防省HP現地メディアに報道されているようです(リトアニア語で)。

今回はアフガニスタン、ゴーン県でのリトアニアと日本文民の協働や経済関係について、またリトアニアがどのようにグルジアやウクライナ、ベラルーシなどをみているか、かなり勉強になりました。
僕は変わらず東アジアの安保について話したのですが、結構広く関心をもててもらったようで、うれしい限りです。

それに、リトアニア独立の歴史舞台、Seimas(国会)で講演できたことはとてもうれしいです。
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第1-3日目 今年も夏は伊豆高原 [遠征日記]

伊豆高原でのゼミ合宿。日本再建イニシアチブの『日本最悪のシナリオ』のシナリオ分析、自主ゼミの発表、そしてビブリオバトル

シナリオを九つのグループに分け、吟味させましたが、なかなか面白い学習になったようです。ビブリオバトルも緊張感があるなかで、なかなか聞かせる。自主ゼミ報告を聞いて、今の学生も知的好奇心は旺盛で、人前での報告へのやる気も十分だと、一安心。

学生は今年も合宿中に、なぜか夜中まで勉強してて、先生は手が空いた人と飲んでます。σ(^_^;)

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第4-6日目 ワシントン [遠征日記]

日米同盟と災害救援プロジェクト、ワシントン会議終了。民軍官学入り乱れての会議も、視点の違いが色々な形でにじみ出てきて、大変面白いものでした。同い年のAbe Denmarkさん(元国防総省中国部長)と共同で幹事をしています。シニアアドバイザーにはファーゴ提督(元太平洋軍司令)と山口教授(元陸将、震災時には官邸参与として貢献)を迎えています。

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慎重な声があることも理解していますが、自然災害が起こったときに軍事アセットを活用すること、また民軍協力をすることは本当に大切なことだと思うのです。今回の会議では東日本大震災で明らかになった教訓をまとめるだけでなく、今後のためにどのようにしていくべきか、日本だけでなくアジアで何が出来るのか、参加者の皆さんがそれぞれの立場で考え抜いた発言をされていました。これを活かして、本当に意味ある提言を書かないといけないと、これからの1年あまりのプロジェクト運営に身が引き締まる思いがしました。

震災の日には海外にでていて、その後も何も出来てこなかった自分にとって、専門性を少しでも活かせる大切な機会をもらった気がします。

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今回のプロジェクトと、その前後の諸々のことで色々考えさせられたのですが、

僕は、本当の広報外交とか国際交流とは「プロジェクト・ベースでの協働」や「自由な雰囲気のなかでの本音トーク」だと信じています。日米の政策コミュニティのネットワーク強化にもつながるものは、真剣な語らい、気を許しての食事から生まれます。

最近の政権・政府の風潮とはだいぶ異なる考えなのかもしれませんが、この考えで40年以上やってきた民間組織で10年弱学ばせてもらって継承している考えなので、変える気持ちはありません。

一方的に主張を語るのは「発信」にすぎない。鬼籍に入った人生の大恩人から何回も言われた言葉を思い出します。

第1-3日目 パロアルト [遠征日記]

スタンフォード大学に来ました。

9月の太陽の下、門からパーム・ドライブ(正門から1マイル以上続く、ヤシが道の両側を飾るシンボル的な大通り)を歩ききり、ビジネススクールの方まで行きました。すべての友だちに、「人生で一回くらいはするな(自分もしたし)」と、なぐさめられました。。

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今回よく分かったのは、スタンフォード大学のある街は、とても住みやすそうなこと、けど家賃がやっぱり高いこと(平米で割っても東京都心より少し高いことに加え、部屋がいちいちでかいので高くつくのです)。1ベッドルームで2500ドル(前後500ドル)を覚悟しないと、大学近くとか住めません。

ただ、山が見えたり、緑が多かったりと、眺望のとてもよい場所も多く、食事、買い物は基本的にパロアルト、マウンテンビューで十分にまかなえ、日本食も車で30分以内のサンノゼのスーパーで全てそろいます。イリノイ時代はシカゴがあったけど、ちょっと遠かった。

研究環境も良さそうだし、学食も美味しいし(←以前いたイリノイ大との最大の違い!)、一人で勉強できる場所もあちこちにあるし。

集中できそうな環境だなぁ、という感想を抱いて、5時間半の大陸横断フライトを経て、今はDC。時差ぼけに国内時差が加わって、もう何が何だか。[ふらふら]

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